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『九大短歌』第四号の通販をはじめます。
○あらたに増刷し、通販用に100部ご用意いたしました。ただいま在庫切れのためご注文を承ることができません。数日中に増刷しますのでしばらくお待ちくださいませ。

○お待たせしました。『九大短歌』第四号の通販をはじめます。
 お名前、ご住所(郵便番号から書いていただけると助かります)、メールアドレスを明記のうえ、kyudai.tanka@gmail.com(@は半角になおしてください)までお申し込みください。
 頒価は送料等込みで500円です。
 ご注文のメールが確認でき次第、振込みのご案内など折り返しメールいたします。

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○感想・批評をいただいています。ありがとうございます!
〈ネット上で読めるもの〉
・山階基さんのnote
 九大短歌 第四号|山下翔 温泉 50首 を読みました
・冨樫由美子さんのnote
 九大短歌 第四号を読む
・恒成美代子さんのブログ『暦日夕焼け通信』
 山下翔「温泉」50首を読んで   『九大短歌』 第四号
・桜川冴子さんのブログ『桜川冴子の0時間目の短歌』
 今月の素敵な10首
・松村正直さんのブログ『やさしい鮫日記』
 「九大短歌」第四号
・工藤吉生さんのブログ『存在しない何かへの憧れ』
 「九大短歌 第四号」を読む

〈総合誌・結社誌などに掲載されたもの〉
・内山晶太さんの文章「今日、力がみなぎっている短歌」
 『現代短歌』2016年1月号、特集「明日の短歌」のなかで、山下翔「温泉」より1首を批評してもらっています。
・田村元さんの文章「異なる時間」
 『りとむ』2017年1月号の時評において、山下翔「温泉」をとりあげて批評してもらっています。
・染野太朗さんの文章「方法意識について」
 『井泉』第七十三号(2017.1)のリレー小論「私が注目する最近の短歌表現の変化」において、山下翔「温泉」をとりあげて批評してもらっています。
・志垣澄幸さんの短歌月評
 西日本新聞(2017.2.23.朝刊)の「短歌月評」において、4人の歌をとりあげて紹介・批評してもらっています。
・荻原伸さんの短歌時評
 『みずたまり』第84号(2017.3)の「短歌時評」において、松本里佳子と山下翔の歌をとりあげて批評してもらっています。
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ためらいも、衒いもあって(中山俊一 第一歌集『水銀飛行』)
 新鋭短歌シリーズも第3期に突入し、中山俊一歌集『水銀飛行』はシリーズ29冊目ということになる。

・七の段くちずさむとき七七の匂いに満ちる雨の土曜日
・息継ぎのように今年も現れて夏の君しか僕は知らない
・ひとたまりもない夏の笑みこの先が西瓜の汁のように不安さ

 ねっとりと濃い話題を、アイディアと語彙で力強くうたっていく。
 しちしちしじゅうく、という「九九」の呪文から雨の土曜日を導く一首目。七七の匂い(のなか)に雨の土曜日を感じるのか、雨の土曜日が七七の匂いに(で)満ちるのか、そのどちらもだろう。たっぷりと字数を使ってアイディアに説得力をもたせている。君はどういう人だろうか、息継ぎのように、という比喩からいろいろ想像してみる。息継ぎは短い、くりかえす、やらないとつらい。ひょこっと顔を出して夏だけ会える人、という単純な感じではないことがわかる。七と雨、息継ぎと夏、夏と西瓜、縁語のようなことばづかいが、しかしそのままは結びつかない。不安になるくらい、歌が胸にくる。

・カンバスに描かれてぼくの体重はカンバスきみが持ち帰るとき
・ふたりして海に降る雨を眺めてた水溶性の傘をひらいて
・うけいれるかたちはすべてなだらかに夏美のバイオリンの顎あて
・癖になる季節の遠さ ふときみがスノードームを逆さまにして
・海水と花火の接吻 ジュッ きみの寝言の語尾も守れないのか
・ももいろのゼリーに桃が透けていた健やかな人と云われたい夏

 さっき力強いと書いたけれど、これはためらいのなさ、衒いのなさかもしれない。絵にかかれた僕の体重はカンバスの重さ、という把握。「水溶性の傘」、ってそれじゃあ濡れてしまう。きみ=夏美なのか、いきなり名前が明かされる。(もちろ違ったっていい。)「癖になる季節の遠さ」、これもフレーズの強さ。五首目、「接吻」まで言うかなあ、と思いながら、一首のペースに巻き込まれてしまう。「寝言の語尾」なんて考えもしなかった。と思えば、六首目のような、手放しと言ってもいいような歌が入ってくる。
 一首のつくりも、連作の構成も、歌集としての推進力も兼ね備えている。ためらいも、衒いもあって、それでもポーズをとっているのだ。
(山下翔)
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本気でなりたい
・大型犬飼って師匠と名付けたい師匠カムヒア、オーケーグッドボーイ
・将来は強い恐竜になりたいそしてかわいい化石になりたい
     「ひかりのような麦茶」工藤玲音
(『東北大短歌』第2号より)

 七夕の季節になると、短冊をぶらさげた笹をあちこちで見るようになる。どこかの保育園児のものだろう、「きりんになりたい」と書かれてあるのを見たことがあって、そうか、きりんは「なる」ものなんだなあ、と思ったことがある。将来、ということばがどのくらい先のことを想定しているのかわからないが、自分の生きた時間に比してうんと先、ということであれば、年を重ねればかさねるほど、遠くとおくを想像することができるのだろう。「かわいい化石になりたい」、というところまで思いを巡らせる眼差しに、生きてきた時間の厚みを感じる。これ、本気なんですね。わざと子どもっぽく言ってみせているわけではないんだと、それは一首目のほうもそうで、飼うものと師匠と呼ぶものってそうそう一致しないと思うのだけれど、そこを本気で望んでいる。で、その飼いはじめたあとの具体的な風景が、もう想定されているわけです。おそらくここで「名付けたい」とか「なりたい」とか言っている(思っている)のは人間だと思うのだが、後付けの時間や空間や秩序みたいなものとは無縁でいたい、というフラットな感覚。幸せになりたいという意志。愛したいという決意があるんじゃないかなあ、と。
 連作のなかには、ひとりの時間もあれば、「きみ」も登場する。しかしそれらの歌と、ここで挙げた2首がまったく同じ地平にあることに感銘を受けた。すごいなあ。
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  2部 700円
  3部 1100円
  4部 1400円
  5部 1700円
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〈の〉について――阿波野巧也を読んで
 先日機会があって「塔」(2014年7月号)を読んでいたら、ちょうど新人賞発表の号ということで、候補になった阿波野巧也の連作「ジオラマ」が載っていた(ちなみに阿波野は2015年に同賞を受賞している)。
 そこに丁度というかたまたまだが、最近追いかけていた〈の〉がたくさん(一連に3つも)あったので、ちょっと書いておきたい。

・エロ漫画はじめて買った夏の日の、感情のどこまでがぼくだろう?
・泣きぼくろみたいにひかる夕星(ゆうずつ)の、幼いころのぼくへの憎悪
・洗濯が終わってひりひりする指の、みんないいひとだと思いたい

 一首目の「エロ漫画」「感情」「ぼく」、いずれも阿波野のうたを話すのにもってこいのことばだが、ここでは〈の〉に注目する。この〈の〉はそのまま「感情」へかかっていくので文法的には連体格を表す用法である。いわばふつうの使い方だ。それだけなら〈の〉のあとの読点は不要である。
 しかしこの読点のひと呼吸によって、「ぼく」と同時に読者もまた、上の句の記憶をたどってみることになる。一種の足止めをくらう。〈の〉によって自然に流れていこうとする歌の動きはいったん待ったをかけられ、そしてそこから大胆に、下の句へ突入する。息継ぎの読点である。

 と、ここまで書いてもう一度歌を読み返してみると、どうだろう。この「感情」というのは何も、エロ漫画をはじめて買った夏の日の「あの」感情だけではない、ということに気付いてため息が出る。下の句のぼやきは、――「あの」感情もそうだったけれど、だいたいこの「感情」というものはどこまでがぼくのものなんだろう?――という、「感情」そのものと「ぼく」そのものに対する、もっと大きな問いかけだったのだ。

 では上の句は単なる例示か、というと、そうとも言い切れない。
 なにか先に「感情」があったとしよう。それに対してこの感情の、どこまでがぼくだろう? という問いかけが生まれた。そしてそれが「エロ漫画はじめて買った夏の日」を想起させたのではないか、というふうにも読める。
 あるいは、夏の日の、そこから「エロ漫画はじめて買った夏の日」の感情が思い出されて、あれも「ぼく」で、いまそれを思い出しているのも「ぼく」で……、という思考にはいっていったのかもしれない。

 ここまで書いてみてもまだ、一首のなかを「感情」と「ぼく」がぐるぐる巡っている。

     *

 二首目はさらに複雑な構造をとっている。〈夕星がひかるのをまるで泣きぼくろのように見ながら、幼いころのぼくへの憎悪を思い出している〉と読んでみる。もちろんこれで読めた気にはならない。が、それでも一首がすっと入ってくるのは、もしかすると〈の〉によるところが大きいんじゃないか、という期待がある。
 三首目は逆に一番シンプルな作りである。上の句と下の句が〈の〉によって接続され、それぞれが異なる景色を見せている。〈の〉が留め具になって、一首の柔軟な構造を支えている。これについては〈の〉に負担がかかっているという批評も考えられる。〈の〉のどこにそんなはたらきがあるのか? と言われたら返すことばを今のところは持っていない。それでもこの〈の〉について知りたいと思うのは、そんなに新しい用法ではないだろう、というところが気になっているからだ。

 機会を同じくして得た『風とマルス』(花山周子)や『X(イクス)―述解スル私』(岡井隆)にもこの〈の〉がたびたび出てくる。用法のこまかな違いはあるが、そこのところがむしろこの〈の〉の面白いところで、これからもさらに自在な〈の〉の用法が出てくるんじゃないかと思っている。一首のなかの情報量を増やそうとするとき、あるいは一首の中で詩的飛躍をとげようとするとき、この〈の〉がひとつ大きな役割をもちそうな気がしているのだ。
 たとえば20代から30代の歌集、あるいは同人誌などをみると、すぐに〈の〉の使用例が見つけられる。ではもっと前はどうか、というと、いま手元に資料がない状態で書いているのですぐには挙げられなくて残念だが、最新の『現代短歌』(10月号)に次のような歌がある。

・とこしへに解(と)けぬひとつの不可思議の生きてうごくと自(みづか)らをおもふ

 この号の特集「若山牧水生誕一三〇年」のなかに伊藤一彦選の牧水秀歌130首があるのだが、そのなかの一首である。〈の〉+読点の例ではないし、はじめに挙げた阿波野の3首とも用法は違う(と思っている)が、現在まで続く〈の〉の変遷の一旦を垣間見る気持ちがする。
 これだけで言うわけではないが、こんなところにも、〈の〉の源泉は割と遠いところにあるのだろう、と思う理由があるのだ。それでどこを起源とするのか、ということについても興味はあるのだが、むしろその用法を「どういうふうに拡大してきたのか」というところに、いま、一番の関心がある。

     *

 最後につけくわえて阿波野の話をする。
 はじめに、(一連に3つも)とわざわざ括弧書きでつけ加えたのには理由があって、どうも意識的に抑制してこの〈の〉を使っているのではないか、と思っているからである。このころはまだそうでもなかっただろうが、近頃の連作を見ると、(すべての連作についてチェックしているわけではないが)一つの連作のなかに〈の〉を用いた歌が複数あることはまずない。
 この「塔」(2014年7月号)には選考会の記録も載っていたのだが、その中で、この(一連に3つも)に相当する指摘がある。だから、というだけではないだろう、と思う。

  「ジオラマ」以後の〈の〉についても触れたかったが、それはまたいずれ。

(山下翔) 
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