日々の活動、メンバーの文章など。
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結句へ向かって
・あめのひのひらかぬかさをがちやがちやとやつてゐたらば撃つてしまつた
     吉田隼人『早稲田短歌42号「びいだまのなかの世界」』

 接触が悪いのだろうか、錆付いているのだろうか、傘がなかなか開かない。それでがちゃがちゃやるのだが、「がちやがちや」と言うのはややおおげさではなかろうか、という引っかかりを残したまま下の句へ行く。すると「撃つてしまつた」と言うのだから驚いた。この衝撃にむかって、着々と舞台は整えられていっていたのだ。

・遠い日の濃霧警報 欲求をいつもしずめる鍋底の海
     井上法子『早稲田短歌42号「青の挨拶」』

 あれはいつだったか、思い出すようなことでもないが、霧の濃い日があった。警報と言えど、「濃霧警報」(ノームケーホー)の響きはおだやかである。「欲求をいつもしずめる」「鍋底の」「海」?うんうん、大きな鍋にみたてたならば、底のほうに海があって、その上に霧がたちこめている。そうして海は欲求を沈めると言う。

・呼気でにごる窓に少女がつっと絵をかいてそこから見えるのが海
     山中千瀬『早稲田短歌42号「クレジット」』

 くもった窓ガラスに絵をかくと、油がつくからやめろ、と昔言われたような。はーっと息をふきかけて、自分だけのキャンバスをこしらえる。そこに「つっと絵をかいて」いるのだ。そして「そこから見えるの」「が」「海」と言う。海が見えると言っているのではない。ほーら見えるだろう、あれが海なんだ。

・停止信号ごとに電車がブレーキをかけたためものすごい夕立
     新上達也『早稲田短歌42号「汽水類」』

 時々ある、停止信号で止まることって。向こうから電車が通過するのを待っている、という類の。ここでは停止信号「ごと」だから、いくつかあるんだろう。そりゃ、ブレーキをかけるにきまっているのだが、そのせいで「ものすごい夕立」が降ってきたと言う。そういうこともあろう、じらされてじらされて溜まったものが、いっきに噴き出したのだ。快感のような雨である、夕立は。
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しあわせ
・卵立てと卵の息が合っているしあわせってそんなものかも知れない
     杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

 息を合わせるって難しい。難しくなくとも、普段の何気ないことが当たり前にできていること、それって思っているほど簡単ではない。いろんなストレスが働きあい、ひずみができ、どことなくぎこちない、そんな毎日に滑らかな瞬間がある、それだけでどれだけ幸せなことか。

・しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
     河野裕子『紅』

 衣食住がきちんとしている、家のことがきちんとなされてある、それだけでどれほど頑張れるか。それがないことで、どれだけ日々のパフォーマンスが落ちることか。そんなことを思ってか、家のことをきちんとやることに幸せを感じている。

・年下の男に「おまえ」と呼ばれていてぬるきミルクのような幸せ
     俵万智『チョコレート革命』

 ぬるいミルクはミルクの味がする、しっかり味がする。冷たければ一気にごくごく飲み干すし、熱ければ味にまで気がまわらない。かみしめるような幸せであり、くせのある、自分にしかわからないような幸せであり。

・幸せな季節たとえばいっせいにバスの<降りる>のボタンを鳴らす
     小島なお『乱反射』

 心おどるような、弾むような、嬉しさが溢れるような、そんな季節だろうか。何かいいことがあったとか、いろんなことが上手くいっているとか、そんな時期なのだろうか。そういうものは一気にやってくる。
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すべて
すべて、だなんて、なんと大胆な!

・「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」
     穂村弘『シンジケート』

 乗っているとだんだんサドルがさがってきて、気づいた頃には乗りにくくなっている。それでサドルを高く上げるのだが、この上げたての乗り心地がいい(いいというか、いい!)。足がぎりぎりつかないくらいがいいのだとか。これさえやってしまえば、あとは夏が来るだけだ!

・平泳ぎのようにすべてがゆっくりと流れゆくのみ秋の浮力に
     小島なお『乱反射』

 身体の伸縮で前進する、そんな平泳ぎのスピードで時間が流れていく。それも、すべてが!われわれは秋のなかにいるわけだから、秋がそういう風に作用しているのであろう、物理の言葉を使えば「浮力」ということになる。そうであり、ただそれだけのことであり。

・目に映るすべてが君に見えてきて君じゃなさそうな駅員を抱く
     斉藤斎藤『渡辺のわたし』

 あれもこれも、目に映るものが次から次に、君に見えてくる。なんだなんだ、この感じは。いやいや、どうにかしなくては。それにしても「すべて」って!そうは言っても、まさか駅員が君であるわけがない。「抱く」という大胆さ!

・ねこじゃらしに光は重い 君といた全ての場面を再現できる
     永田紅

 ねこじゃらしがあるのだが、どうもそこに降る光が重い。ねこじゃらし自体がそんなに強いものではないから、すぐに頭を垂れる、というような姿勢になる。揺ら揺らしながら、君といた時間、場面がどんどん溢れてくる。それも「すべて」! 
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たくさんの中の私
私はどこにもいない、誰とも同じでない、唯一の存在であり。一方で、たくさんの中の私であり。何かの一員であり、もっと大きなものに影響される人たちの一部であり。

・水捌けのよき砂利道を選りてゆく黙秘は嘘にあらざれど、つみ
     森下理紗『岡大短歌(創刊号)「ところにより、ドロップス」』

 ぬかるんだり、水溜りができたり、そんな道はなるべく避けて歩きたい(長靴を履いている日なら話は別だが)。誰に宣言するわけでもなく、誰にことわりをいれるわけでもなく、黙って。別に嘘をついている訳ではないのだが、黙っていることは、時に罪である。黙ってないで、何か言えよ、と。

・信号を待っている人ふたりいてとりあえず待っている人になる
     上本彩加『岡大短歌(創刊号)「街にいる」』

 信号を待っているのが、一人だったら渡ってしまおう、車も来ていないし、人も多くないし。うむ、しかし。待っている人がいる横を自分だけ渡ってゆくのは気が引ける。渡りましょうよ、なんて話しかけるなんてできないし。まぁいいか、そんなに急ぐわけでもないし。と、もうすぐ青になる。

・空間の区切りを跨ぎたくさんの客のひとりへ変わってしまう
     上本彩加『岡大短歌(創刊号)「風が吹く」』

 街を闊歩している。今日はいい天気ね、と、靴をかつかつさせながら。そうね、カフェにでもはいりましょう。自動ドアに吸い込まれて行く。と、「たくさんの客のひとりへ変わってしまう」。いつだって街を行くひとの一人であり、今を生きるひとの一人であり、短歌をよむひとの一人であり。たくさんの中の私であり。

・薄暗い空気にそっと溜息を混ぜても気づかない街がすき
     上本彩加『岡大短歌(創刊号)「風が吹く」』

 私の小さな溜息なんて、ちっとも街には影響しない。私の小さな躓きなんて、ちっとも気にせず街はあるのさ。それでも私は街をゆくんだ、そんな街でも私は好きよ。もう薄暗い夜の街、私は一人で家へと帰る。家へ帰ってふごはんをつくり、今日という日をおしまいにする。そんな私の溜息なんて、街に影響しないのだけど。
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足と足が
・飲み会でリア充であるケイ君の足が一瞬私に触れる
     駒井早貴『岡大短歌(創刊号)「友人S、そしてケイ君」』

 もちろん向こうは意識なんてしていない。ちょっとした動きの中で、たまたま触れた足。掘りごたつ風で向かい合わせ、そんな感じだろうか。触れるといっても生ではない。かといって靴の上からでもない。お互い靴下くらいの距離感。一瞬どきっとする、こちらは冷静。

・足と足が触れそうになるあたたかさ絶対ではないけれど好きです
     高谷由貴『岡大短歌(創刊号)「永遠、ではない」』

 実際に触れたわけではない。触れそうになるけれども、触れていない。その距離感に生まれる、その距離感を保とうとする緊張感。そこにあたたかさを見ている。磁力線があって、そこにはまるで磁場があるように。あたたかさが好きであり、あなたが好きであり。

・ケイ君がこんなにきれいに笑うのはきっと彼女がいるからだろう
     駒井早貴『岡大短歌(創刊号)「友人S、そしてケイ君」』

 白い歯をみせて無邪気に笑うケイ君。それは時に凛々しくもあり頼もしくもあり、あるいは幼げであり、かわいくもある。たとえば目をきらきらさせていたり、八重歯がかわいかったり、ほほが盛り上がっていたり。目の奥からものを見ようとしたり、丁寧に髪がまとめらていたり。そんな風にケイ君を見ている視線、ややこわい。

・さよならが永遠じゃない幸せを測りかねつつひと駅歩く
     高谷由貴『岡大短歌(創刊号)「永遠、ではない」』

 これで終わりではない、終りではないけれど。まだ冷たい春の風だろうか、その中をひと駅歩く。頭を冷やすように、悲しみに整理をつけるように。街のいろんなものが目に入る、ささいな動きが気になる。それがだんだん疲れに負けてきて、感度が落ちだすのがちょうどひと駅、そのくらいの気持ちであったのだろう。これからどうとでもなる。
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たとへば君
・たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
     河野裕子『森のやうに獣のやうに』

 たとえば掃除の時間。落葉を掃き集めて、最後に箕ですくいあげる。あの青いプラスチック製の箕である。確か「さきなし」と呼んでいたような。地方によって呼び名が違うのだろう。すくおうと思えば、先のほうにある葉は勢いあまって前へ滑り落ちるというか、飛び散るというか。勢いよく、こぼれてもよいから、さらって行ってはくれぬか。

・たとえば金魚死にたりしともサカナとは呼ばれず浅く庭に埋めらる
     佐伯裕子『歌壇(2012.10)「不在/次の世」』

 観賞用として人工的な交配によってつくられた金魚。魚と言えばまず食用であろうが、魚とは呼ばれず鑑賞され、魚とは呼ばれず死んでいき、魚として食べられずに処分される。翻って、たとえば人間と呼ばれ、人間として生き、死んでいくということはどういうことか。

・この生にたとえばどんな翼でもみずから燃やしてしまうわたしは
     大森静佳『短歌(2012.11)「輪郭のつばさ」』

 「翼をください」という歌がある。悲しみのない自由な空へゆきたい、富とか名誉はいらないが、子どものときと同じ夢をみている、とある。そんな翼をみずから燃やしてしまうという。たとえばの話だが。

・さわがしき中に酒をのむ悦楽のたとへば貝にこもる潮音
     佐藤佐太郎『地表』

 さわがしい宴会の中にあって、ふと自分にだけ訪れる静けさ。ふわっと世界が静まりかえり、どこかこう俯瞰するような、翼をもったような感覚で、世界との距離が離れてゆき、近づいてゆく。誰かの一言で、また、現実に引き戻されるのだが。
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さくらさくら(ニ)
 俵万智の「さくらさくら」の歌をきっかけに、初句に三文字の言葉を二回重ねるやり方、に少し興味をおぼえ、いくらか、いつもより目にはいるようになった。

・遠い遠い空をうしろにブランコが一人の少女を待っておる
     山崎方代『こんなもんじゃ』

 いつも公園にくる少女なのだろうか。決まった時間に来るらしい。今日はまだ来ていない、あるいはもうずっと来ていない。遠い遠い記憶をたどるようでもあり、遠い遠い訪れを待つようでもあり。

・みぞれ みぞれ みずから鳥を吐く夜にひとときの祭りがおとずれる
     笹井宏之『えーえんとくちから』

 大きな音をたててみぞれが降っている。なかなかやまない。止んでも今日は一日中この調子、明日を待たねば外へ出るのも億劫。するとたちまち部屋の中は、閉ざされた世界として完成する。これまで出てこなかったもの、出せずにいたものが、空を自由に飛びまわる鳥のように溢れ出す。いや待て、鳥とて風の中で生きているはずだ。

・ゆるいゆるい家路の坂の頂上でふと地球上すべてが見える
     永井祐『日本の中でたのしく暮らす』

 そんなに急でもない、のぼったあとの達成感があるわけでもない、すばらしい光景を期待してのぼるわけでもない。ただただ毎日の暮らしの中で、いつものように帰る家路の、ゆるいゆるい坂をのぼった、その頂上で、この日はこういう光景に出会った。長い長い人生の中にあっても、こんな光景に出会えることが時々はある。

・長い長い午後に入りたる人生に吾子といふ者われに付合ふ
     河野裕子『体力』

 朝はすっと過ぎ去り、お昼ご飯を食べ、そして長い長い午後がくる。午前と午後を平等に生きたり、子どもと大人を平等に生きたり、男と女を平等に生きたりするわけではないようだ。そういう偏りが年輪のように重なって、われわれをつくる。その長い長い午後に、付合う吾子の、いかに頼もしいことか。
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こんなにも
・こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう
     枡野浩一『ハッピーロンリーウォーリーソング』

 なんてこった、なんだこれは。なんのつもりだ、どうしたことか。毎日がただ平凡に過ぎるだけ、と、ふと思うことも多いのだが、なんてふざけた日なんだ、と、感じる瞬間もあるように思う。まぁまぁ、そういう日もきちんとこうやって終わっていくのだから、次にやってくる明日という日もどうにかなるだろうよ。「こんなにも」の中身があれこれ想像される。

・くちなしの白い花なりこんなにも深い白さは見たことがない
     山崎方代『こんなもんじゃ』

 花びらは白い、と言っても、やっぱりあれこれ混じっている。ピンクだったり、黄色だったり、茶色だったり。薄く混じって、全体としては白でいる。すなわち普段、真っ白、というものを見ないような気がする。一面の雪景色、まだ誰も足を入れていない雪面をみて、あぁやっぱり白い、それも白い、深い白だと思ったことがあったっけ。

・雪に逢ふまでは気がつかなかつたのだ歳月がこんなに邃(ふか)かつたとは
     岡井隆『X(イクス)-述懐スル私』

 色の深さがあれば、積りたる雪の深さ、おれから過ぎ来し歳月の深さもある。何気ない日常の中ではついつい忘れてしまう、というよりも意識しないですむ、
そういう歳月の深さを思っているのだろう。

・あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
     河野裕子『蝉声』

 歳月の深さ、その積み重なりの最後に死がある。生と死は反対の言葉ではないと誰かが言った。生の反対は「生まれてこなかったこと」だと。生と死は常にセットである。生がなければない、尊い死である。こんなに、こんなにわかるのに、言葉にならない、言葉がでない、言葉を話せない、それでいて通じ合うものの確かにあるところに、歳月の深さがあるのだろうか。
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試験監督
・いっせいに解答用紙ひらかれて風ふく朝の野をおもひたり
     大辻隆弘『汀暮抄』

 始め、の合図で試験が始まる。その始めの「め」が言い終わるのを待たずに、一斉に問題用紙・解答用紙がひらかれる。ざわざわとゆっくりではなく、一瞬何か強い風でも吹いたのかと思うほど、一斉に、である。風の到達したところから順に、どんどん後ろへ伝わっていくように風が走る。それも一瞬である。そこにかけれたエネルギーやいかに。

・「西友」の看板だけが明るくて試験監督している窓辺
     俵万智『サラダ記念日』

 試験が始まってもうかなりの時間が経っているようだ。解きあぐねていた生徒らも諦めはじめ、問題用紙の余白に落書きをしたり、机にうつ伏せになったりして時間を持て余している。一方なんとか解答の糸口を見つけた生徒は、必死の形相でかりかりとシャープペンシルを走らせる。その両者が少し薄暗い教室の中に混在しているという不思議。そこに試験監督をしつつ、「西友」の看板だけが明るく見えている。

・  二十日(金)試験監督
 これやこの制た迦(せいたか)童子くるくるとペンシルまはしつつ考へる
     小池光『日々の思い出』

 どこでもペン回しというものが流行ったのではないだろうか。いろいろなタイプがあるだろうか、上手い人はかなり上手い。ペンが机や床に落ちることもある。ペン回しをしていると集中力がつくとか、あるいは受験に落ちるとか、そういう迷信もある。ともかくずっと続いてきた文化なのだろう。試験のとき、わからない問題に出会って、これは困った、と手が止まる。手が止まると焦るので、ペンでも回していないと気持ちが落ち着かないのかもしれない。

・千人の十二歳の解く算数の鉛筆の音が冬空を圧す
     森尻理恵『S坂』
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観察の歌
・必殺技のごとき音感こどもらが次々繰り出す「小龍包」は
     宮﨑哲生『立命短歌(創刊号)「やわらかい樹木」』

 必殺技、小龍包という語感からドラゴンボールを想像してしまった。それはどうでもよいのだか、何だか面白い歌である。必殺技がどんどん繰り出される、という状況も子どもらしい。いざという時の技であるはずなのに、というのは大人の見方。何でも取り入れて、何でも自分のものにして、どんどん新しいものを生み出していく。自分でキャラクターや技なんかも作り出して。そこをこう、さらっとすくいあげるあたりに作者の技を感じる。

・折り鶴を折り目ただしくほどきゆく遠いふるさと思い出しつつ
     宮﨑哲生『立命短歌(創刊号)「やわらかい樹木」』

 これまで歩んできた道のり、育ってきた日々を、現在から丁寧に振り返ってゆく。小さな決断がいくつもあって、その度に方角を変え、歩き方を変え、今の自分をつくってきた。どこが始まりだったのだろうか、もう果てしなく遠くにも感じられる。こちら側からゆっくりと丁寧に、それはまるで順番にほどいてゆくような作業である。生い立ちを整理することは気の遠くなる作業であり、また触れたくない部分に立ち入らなくてはならない、億劫な時間でもある。しかし、こういう立ち帰ることを通してのみ、これからの自分が見えてくるのだと思う。

・幾重にも折り重なって降る雨が拍手となって終わる一日
     平山達也『立命短歌(創刊号)「雨水珈琲」』

 追いうちをかける、という感じだろうか。雨はそれぞれがただ降っているだけなのだが、それはひとつの連なりでもあると言っている。ぱらぱらと降り始め、それがだーっと降り重なり、もうそこにあるだけになる。何もないのと変わりない。それが最後に最高潮の盛り上がりをみせ、あっさり止んでしまった。木や電線からぽたぽたと雫がおちる。水溜りがぴちゃんと音をたてる。そんな余韻を残しながら、雨だった、今日という一日が終わっていく。

・照明を常夜灯へと切り替える暗転のなか君が笑った
     平山達也『立命短歌(創刊号)「雨水珈琲」』

 今はもうないから気になる、一瞬のことだから記憶に残る、そういう類のものであろうか。こちらまで笑みがこぼれそうなあたたかなシーンである。切り替える、暗転、まるで劇をみているような、そんな気分を引き起こす。それに合わせて笑ったのではなく、たまたまタイミングが合った、ということだろう。それにしても素敵な観察の眼の持ち主なのだと思う。
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不思議な歌
・空を見た。秋、夕空に雲ひとつなくて、そこには空もなかった。
     栁文仁『立命短歌(創刊号)「寄り道の風」』

 残り柿も落ちてしまった秋の夕空。雲ひとつない、それだけでもう秋の空はうんと高い。あっけらかんとしていて、どこか他人事のようにそこにある秋の空。僕には関係ないよと、すました顔を見せてくる。存在感さえ失くしたかのように。
 それを「そこには空もなかった」と言っている大胆さ、意外さ。しかしそれは単に不思議なだけでなく、確かに空はないのかもしれない。いやないのだ。その駆け引きが面白い。絶妙である。

・過ぎてゆくだけの日溜り子どもらが枯葉を高く散らすから きれい
     坂井ユリ『立命短歌(創刊号)「過ぎてゆくだけのひだまり」』

 光の筋がすーっと見える。遠くから見ている分には構わないが、近づけばやっぱり埃が気になる。何か湧き上がるようでもあり、沈みゆくようでもあり。スポットライトを浴びせるように、混沌をさらけだす。その終着点として、あるいは源泉のように日溜りがある。
 そこに「子どもらが枯葉を高く散らす」と言っている。だから、過ぎてゆくだけの日溜りがきれいだと。不思議な光景である。何が起きているのかよくわからない。雑木林は物語を生む、その舞台設定が面白い。絶妙である。

・かばんだなから金の画鋲をこぼしたら瞳のおもてはプラネタリウム
     松尾唯花『立命短歌(創刊号)「蝉の屍」』

 中学校の教室だろうか。教室の後ろにかばんだながあり、掲示板がある。月明かりだろうか、画鋲がいっそう金色になる。それがぽろぽろと、あるいはぽとりと落ちて。
 すると「瞳のおもてはプラネタリウム」なのだと言う。画鋲が落ちて床に散らばった、その配置に星座を見たのだろうか。星座は88しかないが、これならばいくらでも作れそうだ。確かにそれはプラネタリウムである。しかし不思議な光景である。どこでだれの瞳がこんな出来事をとらえているのだろうか、その奇妙な感覚が面白い。絶妙である。

・歩み来し枯野に色を足すやうにやさしさといふ切手を貼りぬ
     濵松哲朗『立命短歌(創刊号)「偽りの永遠」』

 枯野が続いている。振り向けば、もうずいぶん歩いている。それにしても殺風景だ、色の一つでも足してやりたい。最後の仕上げに、私のやさしさを添えて。
 手紙を、それも短い手紙を書くのは大変である。言葉をよく考えなくてはならない。それに比べてだらだらと長く書いてしまうとよくない。なんだかどうでもいいことが多すぎて殺風景だ。白い便箋に黒い文字、茶封筒。ペン先だけが淡々と歩いてゆく。
 不思議だ、しかしこの両面性のようなものが面白い。絶妙である。
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子育てと父
・遊びたい寝るのは嫌と子は泣けりこんなにわれは眠りたいのに
     吉川宏志『海雨』

 子どもはとにかく元気だ。いつだって遊んでいたいし、遊んでもらいたい。指一本でも握ってはなさない。外へ行こうと誘うときもあれば、父の胡坐を組んだところへ転がりにくるときもある。夜だってまだまだ遊んでいたい。寝てしまえば、本当にすやすやと、いい顔を見せるのに。

・のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ
     佐々木幸綱

 父が堂々と、自分を信じてくれる、それだけで子はどれだけ安心することか。父の生き方に、時に反発するが、やっぱり父の背中は大きい。何も言わずに見守ってくれる、母に叱られれば黙ってなぐさめてくれる優しさ。何かあったら家族を守ってくれる強さ。父がいなくなってはじめてわかる大きさが、確かにある。

・ちょっと目を離したすきに少年に変わりたるかな赤子なりしが
     松村正直『やさしい鮫』

 子どもはずんずん成長する。こちらが思っている以上にたくさんのものを見て、触って、聞いて、味わって、臭って。何考えてるんだか、と思うことばっかりだが、気づけばいろんなことができるようになっている。日々の忙しさにかまけて、ふと見やればすっかり少年ではないか。少年もまたずんずん成長して大人になる。

・生きゆかむ苦しさ知らず陽に灼けし畳のうへに子はねむりをり
     宮柊二『小紺珠』

 大人になるにつれて、きついこと、大変なことが山ほどある。楽しいこと、うれしいことも山ほどある。その狭間で揺さぶられ、さまよい、悩み、それでも日々を生きてゆかねばならぬ苦しさ。そういうことも知らずに、ただそこに生きているだけの子ども。そんなふうに寝転んでいられる日々が、いまのわれわれをつくっていることも確かだ。
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子育てと母
・親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト
     俵万智『サラダ記念日』

 子育ては大変だ、なんて簡単にいってしまってはおこられるかもしれない。親子だからできないこともある。親子の形だっていろいろある。親はやっとの思いで子を育てあげるのだろうけれど、思い通りにいくことなんてそうそうない。言うことは聞かないし、親のようにはなりたくないと言うし。けれども知らぬ間に成長し、奇跡を起こしてみせる。そこに育てることの醍醐味があるのだと思う。

・叱られて子供は育つ父は父の母には母の叱り方があり
     河野裕子『家族の歌』

 愛情の表し方ひとつとっても、父と母では全く違う。役割分担なんて言ってしまったらかなしいが、そういうことも必要だと。何かあったとき、帰る場所があることの、どれだけ頼もしいことか。家のことは何でもしてあって、自分のやりたいことだけやれるということが、どれだけ貴重なことなのか。

・もどかしく抱きしめる腕をすり抜けて夕方の子は他人の匂いす
     松村由利子『薄荷色の朝に』

 わが子が自分の手を離れていくことはさみしい。子どものためだから頑張れたという方もあろう。社会との接し、交わることが少しずつ増えるようになり、それとともに、わが子はだんだん自分だけのものではなくなっていく。いちばん大変な思いをしているのはそれは両親なのだが、近すぎてわからないこともたくさんある。

・そんなにいい子でなくていいからそのままでいいからおまへのままがいいから
     小島ゆかり『獅子座流星群』
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もう二度と
・もう二度とこんなに多くのダンボールを切ることはない最後の文化祭
     小島なお『乱反射』

 とにかくダンボールを切りに切ったことが、そこに印象が集まって、最後の文化祭が終わっていく。一方、もう二度と、と思っていることに限って、あぁまたか、という訪れがある。ダンボールを切るたびにデジャブとでも言えようか、そういう類の感覚に会い、はたと手がとまる。歳月というものの不思議である。

・もう二度と来ないと思う君の部屋 腐らせないでねミルク、玉ねぎ
     俵万智『トリアングル』

 一人暮らしの自炊は、買い物で苦心する。いかに使いきれる量で、それも安く食材を仕入れるか。まとめ買いをすれば安くなるのだが、腐らせてしまっては元も子もない。胡瓜なんかは放っておけば液体と化すし、レタスはすぐに赤くなる。玉ねぎは黒くなるだろうか、ミルクはパックを開けるのもこわい。

 それが二人だとずいぶん違う。同棲のつらさをいくらか和らげてくれることもある。そんな君の部屋にもう二度と来ないと思う、そのとき、君への眼差しは意外にやさしい。

・もう二度と子供の産めない君を抱く世界は思ったよりも静かで
     本多忠義『禁忌色』

 たえがたい沈黙もあれば、ごくごく自然な沈黙もある。おおよそ心の距離によるところが大きい。子供の産めないことがわかって、それが時間とともに実感としてわいてくる。そんな二人を包む世界は、まるで寛容であり、はたまた冷徹であり、それはただじっと待っている母のようであり、背を向ける父のようであり。何もせず、じっとしているとき、「世界は思ったより静か」だ。あるいは世間も。

・もう二度とあの夏はない丸眼鏡の息子を連れし熊蝉の夏
     永田和宏『家族の歌』
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植物の名前
・日曜はお父さんしている君のため晴れてもいいよ三月の空
     俵万智『チョコレート革命』

 君のため、自分が何をするわけでもなく。晴れてもいいよ、と、空に向かってささやくだけ。三月の天気はとにかく不安定。強い風が吹いたり、やけに暖かかったり、急に寒くなったり、雨が降り続けたり。そんな三月の空へ、晴れてもいいよ。

・植物の名前を知らぬ君のため雨降る中を連れ出してゆく
     永田紅『家族の歌』

 今度は手を引っ張って連れ出すのだろうか、雨降る中を。わざわざ雨の中を、とも思うが、そんなにあわてた雰囲気でなくてもよい。お散歩にでかけるのだ、今日はいろんな植物の名前を教えてやるのだ、雨だけれど・・・。そのくらいの感じかもしれない。

 植物の名前、わからないものだらけである。よく見る花でも草でも、木でも。

・明け方の霧雨に咲く花の名を母も兄貴も僕も知らない
     千葉聡『そこにある光と傷と忘れもの』

 みんな知らない。それでいて、何の花だろうね、と考えるでもない。世の中、名前のついていない事も多い、名前のついていない感情も多い、まだまだたくさんある。そんな多くの、名も知られない事柄の1つとして、今日というひとひがあり、そんな毎日の積み重ねで人生ができてゆく。

・嫌な夢みたあとに添うぬくもりにまた新しい名前をつける
     東直子『歌壇(2002.4)』
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さくらさくら
・さくらさくらさくら咲き初め咲きおわり何もなかったような公園
     俵万智『サラダ記念日』

 初句のリズムは歌全体の世界観をつくる、ということをつくづく感じる時に、やはりこの歌を思い出さずにはいられない。気づけば葉桜になり、何もなかったように時間が過ぎていく。サ行音に流されて、季節は早くも夏へ向かおうとしている。

・かもめかもめ風に吹かれてさつさつとおのが翳りを打ちて羽ばたく
     大辻隆弘『水廊』

 春の風は時に強い。冷たい風のなかに自転車を漕げば、陽は意外にじりじりとあつい。汗ばみながら、風に歯向かうことになる。

・空よそらよわたしはじまる沸点に達するまでの淡い逡巡
     東直子『青卵』

 新しい季節がはじまる。何かに挑むチャンスであり、しかし、ためらいもある。しようか、するまいか。いこうか、いくまいか。はてはてこんな気持ちを誰に打ち明けようか、投げかけようか。

・花が水がいつせいにふるへる時間なり眼に見えぬものも歌ひたまへな
     齋藤史『魚歌』

 どうしようかこうしようかというためらい。それを通して見えるもの、そしてその先にある、あるいは、その奥にある見えないもの。そういうものへ眼を向ける、そうして、かすかなふるえを感じ取り、掬い取り、器に盛る。そういう営みを短歌と呼ぶのかもしれない。
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船と港
・キャンパスは停泊したる船のよう、あるいは船を見送る港
     永田紅『家族の歌』

 九大では、明日が入学式。これまでいた環境を離れ、新たな港へ入る船。それをおおらかに迎え入れる港、あるいは船。頼もしくもあり、心細くもあり。そういう不安定さに錨を沈めるまでの数ヶ月、そこに吹く初夏の風。いろんなことが楽しみになる季節だ。

・図書館は記憶の港 本は船 窓の向こうの空は大海
     千葉聡『そこにある光と傷と忘れもの』

 これは中学、あるいは高校の図書館か。まちの図書館か、はたまた大学の図書館か。図書館は不思議な場所である。勉強しようと思ってはいっても、たちまちエネルギーを吸われてしまって眠くなる。古い資料の匂い、それは遥か遠くを懐かしむ匂いでもある。

・図書館の本棚すべて空っぽにしたら運河が流れ込むだろう
     小島なお『サリンジャーは死んでしまった』

 こんどは運河である。人工的につくられた水路、そこに流れる2つの水の温度差。あるいは2つの水位の高低差。やっぱり不思議な空間である。図書館に運河が流れ込む、何が起こるのだろうか。

 さだまさしの歌に『男は大きな河になれ~モルダウより~』がある。かの有名なスメタナ作曲のモルダウに歌詞をのせたものである。そこにこんな一節がある。

・苦しい時こそ意地を張れ 目をそらさずに雨を見ろ 泣かずに雨を集めて そして 男は大きな河になれ

 この一節を聞くとき、どうしても思い出さずにはいられない一首がある。

・行く先を決めかねている風あらばここに集いてわが帆を充たせ
     相良信夫『やまなみ(2007.1)』
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母を思う歌
 母さんは夜なべをして手袋編んでくれた。母を思う時、自然に頭の中に流れてくるのはこの『母さん』の歌。<母>はどのように歌われてきたのだろうか、いくつかみてみたい。

・母亡くて石臼ひくくうたひをり とうほろ、ほほう、とうほろ、ほいや
     高野公彦『水行』

 母というのはやることが多い。炊事、洗濯、掃除などの家事全般に加えて、家の中や家族のことのあらゆる世話をしたり、ほころびを直したり。後回しにされたものは夜の仕事となる。
 亡くなって気づく母の大きさもあろう。

・いくつもの鍋や薬缶を磨く夜は泣いていたんだ 母の背中も
     中村縁衣子『やまなみ(H24)』

 父の背中は大きくて、憧れでもあり、歌にもなる。母の背中とはどんなものだろうか。
 少し猫背気味に丸まった背中。いつもしゃんとしていて頼れる背中。夜の背中には一日の疲れものしかかって、また違った姿になるだろう。

・お母さんあなたはわたしのお母さん、裕ちゃんごはんよと呼ぶこゑがする
     河野裕子『家族の歌』

 男の人は母のことをよく「お袋」と言う。『わたしのお母さん、あなたはわたしを誰よりも大きくやさしく包んでくれる袋でした。亡くなった今も。』と本文に綴っている。
 何でもない日常に母の大きさがあり、やさしさがある。われわれはそこから出発した。
 そういえばこんな歌もあった。

・冬瓜は胎児をつつむかたちして母のはたけにごろごろねむる
     池松果実『現代短歌新聞(2013.3)』
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風と呼ばねば
・ぶらんこにうす青き風見ておりぬ風と呼ばねば見えぬ何かを
     俵万智『チョコレート革命』

 よくよく考えてみると、風というものは目に見えない。しかし、ぶらんこの揺れるさまを見て、あぁこれは風の仕業だと思い、そこに風が吹いているということを実感する。当たり前のようで、何だか不思議な気がしてくるものだ。短歌ではこういった小さな発見を大切にする。

・境内に立ちし大きな鯉のぼり風はS字に吹いてゆくらし
     小菅暢子『読売歌壇(2013.3.11)』

 新聞の投稿歌からの引用。この歌をみたとき、ふっと前出の「ぶらんこ」の歌が浮かんできた。【評】に『風は、何かを動かすことで見えてくる。「S字に」という表現に、感覚の冴え。鯉のぼりのうねるような動きが目に浮かぶ。(俵万智)』とある。風の捕まえ方っていろいろあるなと思った。

・麦揺れて風はからだをもたざれど鳥類であることをみとめる
     山田航『さよならバグ・チルドレン』

 今度は麦が揺れているところに風を見ている。そしてここでは、実体のない風を「からだをもたざれど」と言い、大胆にも「鳥類」であると言っている。空を動き回る、その不規則さ、滑らかさ、は確かに鳥類と重なるところがある。

 デッサンで、輪郭を描かずに輪郭を見せる、ということをやるそうだ。そうしなければ、輪郭ばかりに目がいって立体感がなくなってしまうという。確かに輪郭というものが線としてある訳ではなくて、そこに線としての輪郭を人間が見ているだけ、という気がする。
 風も輪郭もそこに見える形であるわけではないが、それらのもつ立体感が我々に、そこに在るものとして見せているのではなかろうか。

・「風」という語を使わずに放課後の今一瞬のこの風を書け
     千葉聡『飛び跳ねる教室』
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九大短歌会、始動!
お待たせしました。
この4月から九大短歌会、本格始動です!

これまでKEEPECプロデュースで「はじめての短歌会」をやっておりましたが、それはそれとして残しつつ、本格的に「九州大学短歌会」として活動してまいります。

このブログで何を発信していくかはおいおい考えることにして、ひとまず挨拶をと思いまして。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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