日々の活動、メンバーの文章など。
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生きるとは死へ向かうこと
・生きるとは死へ向かうこと 薄命は部屋を青へと染め上げていく
     伊波真人『短歌(角川/2013.11)「冬の星座」』

 生きているということは、いつかは死がやってくる、その死へと向かっているということだ。時間は勝手に流れてゆく。その流れの先に死がある。「死にたくない」あるいは「生きたい」と思って生きているかどうか。
 この歌は、<Aとは/B>型の二句切れで、AとはBであるという解釈を提示している。「生きるとは死へ向かうこと」という捉え方は、よくあるものである。そういうものを敢えて持ち出さざるを得なかった緊迫感があるかどうか、そこに短歌の一瞬性が宿るのだと思う。ありがちなものが、自分の中を貫いてゆく、その衝撃や痛さを感じたその瞬間のエネルギーがどれだけ歌にとじ込められているか、そしてまた開放されてゆくか。そこに一首のもつ力がある。
 人間でなくとも、何か身近なものの死があったのだろうか。あぁ、やっぱり死ぬんだな、と。そうだよな、生きているからにはいつか死ぬんだな、と。そういう実感が「薄命は」という大胆な主語から伝わってくる。部屋という狭い空間で、ひっそりと命に向き合うとき、その色は青であった。

・自閉とはむしろ自開だ秒ごとに傷つく胸を風に晒して
     山田航『さよならバグ・チルドレン』

 自閉とは、自分だけの世界に閉じこもることである。現実を離れ、自分の内面を大事にする。自分はこうだ、ということが、むしろどんどん開かれてゆく。だから自開だ、ということになるだろう。「自開」という言葉は造語だろうか、手元の広辞苑には載っていない。しかしもとからあったような印象さえ受ける。自閉に対して、自開、とういうのはこれまでも使われていた表現のようだ。
 そうするとこの初二句は先の歌と同じように、いわば慣用句的な役割を果たしている。全く同じくらいありふれているとは思わない。それでも、三句以降に重心があるのだろう。「傷つく胸」というのは心の痛みだろうか。開かれてゆくたびに、開かれたものが世間に触れるたびに-風に晒されるたびに-傷ついていくのだろう。様々な人の言葉が次から次へと迫ってくる、その流れは、向きも速さも量もよく変わる。微細な変化の総体として流れがある。そこにあまりにも開かれた心を向かわせるとき、苦しくなるのだ。

・暗さとは遠いあかるさ 銀色の傘のつばさをひろげてゆくか
     藪内亮輔『短歌(角川/2013.10)「霊喰ヒM」』

 暗いというのは、単に明るいものから遠いだけである、というような明るさがある。これはかなり実景の歌である。雨が降っているときの暗さだろうか、時間が流れれば天気も移ろう。遠くにある明るさを感じているのだ。それが初二句のようなフレーズで提示されるとき、それは他の状況へも転用できるような汎用性を帯びてくる。そうやって一旦は肥大化したフレーズを、さらに大らかな三句以降がしっかりと受け止め、あやうさの中に明るさを保っている。
 光があるから我々はものを見ることができる。暗いとは、単にその光の量が少ないだけに過ぎない。雨、光、傘のみせる「銀色」の中に、暗さのなかにある明るさを見出している。そうだな、うん、行こう。という力強さは、しかし気取らずに力みすぎずに「つばさをひろげる」という動きにつながっていく。やれやれ仕方がないな、もう少しやってみるか、という妙に落ち着いているところに、佳境を過ぎた、トンネルの出口を感じるような明るさがある。

・生きるとは手をのばすこと幼子の指がプーさんの鼻をつかめり
     俵万智『プーさんの鼻』

 惹かれるものに手をのばすこと。興味のあるものを自分のもとへたぐりよせようとすること。そうして自分の中に取り込んでみようとすること。どうしても掴みたいものへ向かって一生懸命になること。けれども、できることしか、やれない。その中でただただ手をのばすこと。
 大人であれば「手でつかむ」「指でつまむ」となるだろう。幼子の手は小さい。だから「指でつかむ」ようになってしまう。そんな小さな手で知らないことだらけの世界へ向かって、手をのばし、自分の感覚で受け止めようとする。そこに、まさにいま生きている、という実感があるのだろう。そういうことを思うままにはやらなくなった、自分を顧みるひとときであったのかもしれない。
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栞の紐
・栞の紐がついてゐるのに伏せて置く本のページのやうに週末
     魚村晋太郎『文藝春秋(2005.1)「右手」』

 栞の紐がついていない本のほうが多いのだろうか、すっかり伏せて置くのが習慣になっているのだろう。何か挟むものも身の回りにないし、まぁ当面はこれで凌ごう、といった感じがする。それで読み進めているうちに栞紐に出会うのだ。あぁ、あったのかよ、と。
 この歌の場合、もう栞の紐がついていることは知っているのだが、咄嗟に本を閉じねばならなくなったのか、あわてて伏せて置く、そのページのように週末がやってきた。いま読んでいるところよ栞紐を呼び寄せるのがわずらわしいくらい、はっと週末がやってきたのだ。何かに追われていたのかもしれない、夢中になっていたのかもしれない。栞の紐を、今日はここまで、と挟むことは、余裕のある証でもある。それは贅沢なひとときと言ってもいいのかもしれない。
 栞紐を挟む、わずかな時間が愛おしく思えてくる。

・栞紐いぢりつつゐる楽しみは冬の朝(あした)を起き出づるまで
     花山多佳子『胡瓜草』

 まだ布団の中にいるのだろう。枕元やベットの横に本棚があって、その本棚にぴらぴら垂れている栞紐をいじって遊んでいる。布団から出よう出よう、そろそろ出なくてはと思ってもなかなか踏ん切りがつかない。それでともかく二度寝してしまわないよう、意識を保っておくために栞紐をいじっているのかもしれない。あるいはもう少し布団に入っていられる、そのおだやかな時間を過しているのだろう。
 それを「楽しみ」と言っている。栞紐をいじりつつ、色や長さの様々であることを思っているかもしれない。何かを思い出しているかもしれない。今日のことを考えているかもしれない。しかし手は冷たくなかろうか、栞紐を感じている手は、同時に冬の朝も感じているはずだ。その感触がじわじわと迫ってくる。

・ひのくれは死者の挟みし栞紐いくすじも垂れ古書店しずか
     吉川宏志『夜光』

 静かな古書店である。栞紐がいくすじも垂れている。それは死者の仕業であるらしい。そう思えるような日の暮れであったのだ。
 静かな場所に死者は寄ってくるのだろうか。ときどきは本を読みにやってくるのだろうか。それできちんと栞紐を挟んでまた戻ってゆくのだろう。死者の厳かな佇まいがうかがえる。それは生きている者と、すでに死んでしまった者の、世界の違いゆえのことだろうか。
 同じ本を誰かが読んだらどうするのだろう。現実の人間が買っていったらどうするのだろう。そんなことを考えても仕方がない。その時はそのとき、いつ死ぬかわからないのだから-すでに死んでいるが-ともかく今なのだ。けれども希望はある。期待もする。また続きを読む日がくることを信じて、そっと栞紐を挟むのだ。

・栞紐のさきをほぐしぬ一月の心に踏みとどまる名前あり
     大森静佳『てのひらを燃やす』

 栞紐はいくつかの繊維を編んで作られている。それで先端はばらばらになっているのだ。そこをほぐしている。細かいところをやさしくいじる指先の感触がある。何か毛のようなものも想起される。考え事をしているのかもしれない、思い出しているのかもしれない。静かな時間である。
 心に踏みとどまる名前、とは何だろうか。名前自身が、ぐっと力を込めて心に残り続けているような、そんな忘れられない名前があるのだろう。忘れさせないという意地悪かもしれない、忘れたくない名前なのかもしれない。勝手に出てゆくのを待てばいいのだろう気長に、とは思っても何となく気になる、そんなもやもやが指先まで届いてしまった。
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笹井宏之 第三歌集『八月のフルート奏者』
 笹井宏之は俵万智の影響を受けた歌人である。直接、俵の作品を読んだのかはわからないし、<俵が短歌に与えた影響>あるいは<俵が短歌に受けた影響>に影響を受けたのかもしれない。それはともかく、歌の<構造>と<対象>において、すなわち<どう詠むか>と<何を詠むか>において、俵との類似が多く見られる。
 『八月のフルート奏者』(以下、[笹井3])は笹井の第三歌集で、佐賀新聞に投稿された395首が収められている。
 ・あつさりと缶コーヒーを選びたる手がそこはかとなく俵万智
という歌があるが、次が意識にあるのかもしれない。
 ・渡されし缶コーヒーは生ぬるくあなたをかばうように飲みほす [俵2]
 笹井の俵との類似は[笹井1][笹井2]によく表れているのだが、それがこの[笹井3]にもにじみ出ている。

 特に初期の頃、[俵1][俵2]において、俵は同じ<構造>の歌をいくつも詠っている。歌集の作り方としてこの2冊は似ているのだが、ひらかれ方を見れば[俵1]はむしろ[俵3]につながっていく。さて、『短歌の友人』で穂村弘も言及しているのだが、同じ<構造>の歌を配置することには、「圧縮パターン」を読者に浸透させ、受け取りやすくするという効果がある。穂村は結句、句またがり「いる/体言」の型を例示しているが、それも含めて[笹井3]からいくつか引く。

 ・廃品のなかでひときはたくましく空を見上げてゐる扇風機
 ・外部こそ全てであるといふことの玉葱を剝きつつ泣くものか
 ・パチスロの明かりが夜の水田を覆ふ 綺麗と思つてしまふ
 ・散る銀杏散らない銀杏それぞれの並木を縫いしエンジンの音
 ・らいおんのあくびのやうに盛大にあなたのことを好きだと言はう

 俵の作品と比較してみる。

 ・かたむいてばかりいるから寄りかかる人をなくしている夜のバス [俵2]
 ・さよならに向かって朝がくることの涙の味でオムレツを焼く [俵1]
 ・「スペインに行こうよ」風の坂道を駆けながら言う行こうと思う [俵1]
 ・はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり [俵2]
 ・ハンバーガーショップの席を立ち上がるように男を捨ててしまおう [俵1]

 一首目、「〜している(体言)」という型。[俵3]以降ではどんどん減って、「〜してゆく(体言)」がちらほらあるくらいになった。「いる」と「ゆく」の違いは大きい。ここでは<□□を□□□てゐる□□□□□>というタイプをあげた。二首目、上句を「〜ことの」で止める型。この不自然とも言える接続に一度立ち止まる。抽象と具体のバランス。三首目、動詞の終止形で2つのパーツに切れる型。直接「思ふ」を使うための呼吸法か。その特殊性と主語の変化への配慮だろう、笹井の歌は一字空けてある。四首目、“それぞれ”を並列する型。俵には2つを対照的に置いたり、いくつかを並列させたりする対句表現が多い。五首目、上句で比喩、下句で自分への呼びかけという型。「盛大に」と言ってしまうのはどうか。

 ・想うとは夏の動詞か汗と汗の間(あわい)にいよよ強くなりたる
 ・味付きの海苔が好きとか嫌いとかそんな話の出来る食卓
 ・午後きみはひかりのかごを編んでをり 居残りをするわれの傍ら
 ・はつなつのたまごサンドを飲み込んで広葉樹林に佇むふたり
 ・風の尾を摑みそこねてしまふのは私が風であるからだらう

 俵には、次のような作品がある。

 ・誰を待つ何を吾は待つ<待つ>という言葉すくっと自動詞になる [俵1]
 ・なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き [俵1]
 ・窓際の一番うしろの席にいて夢の羊を編みためており [俵2]
 ・砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている [俵1]
 ・ぶらんこにうす青き風見ておりぬ風と呼ばねば見えぬ何かを [俵3]

 一首目、動詞に着目した歌。漢字、言葉、英単語に着目した歌がいくつかある。命名したり、言葉をひらいたりもする。二首目、ふるさとのなんでもなさ。ふるさとや家族、身の回りのことを詠ったものが多い。三首目、ぼんやりとしている。他者への眼差しがある。四首目、たまごサンドの歌。2人でどこかにいる、という状況にたまごサンドがある。俵が角川短歌賞を受賞したとき、卵サンドを歌にするような人はいなかったという。今ではすっかりおなじみのアイテムになった。五首目、風は見えないという歌。何かが動いたり音を立てたりしたとき、あぁそこに風が吹いたのだとわかる。これもすっかり定着してしまった。目に見えないもの、流れとしてあるものとして風が登場する。

 ここでは俵との比較で[笹井3]を眺めたが、他にもいろんなものを取り込んでいる。俵以外の短歌はもちろん、歌や音楽や他の詩からも。だから口語も文語も、旧かなも新かなも、ここでは言及しなかった修辞もとりこんだ。しかし、取り込んでさらに自分ならではへ、というところまではたどりついていないように見える。構造はそのまま呼吸につながる。対象はそれだけでイメージをもっている。ただ安心して読めるだけなのだ。
 そういった中で、取り込んだものが自分ならではへ転移するとき、次のような歌が生まれる。

 ・君でなければならなかったのだろうか国道に横たわる子猫の背
 ・冬ばつてん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちやんいつもうたひよつたろ
 ・眠りから覚めても此処がうつつだといふのは少し待て鷺がゐる
 ・葉桜を愛でゆく母がほんのりと少女を生きるひとときがある
 ・千切れつつ増えゆく雲を眺めをり 人に生まれてからといふもの

(山下翔)


各歌集を以下のように略記した。

[笹井1]第一歌集『ひとさらい』、書肆侃侃房、2011
[笹井2]第二歌集『てんとろり』、書肆侃侃房、2011
[笹井3]第三歌集『八月のフルート奏者』、書肆侃侃房、2013

[俵1]第一歌集『サラダ記念日』、河出書房新社、1987
[俵2]第二歌集『かぜのてのひら』、河出書房新社、19991
[俵3]第三歌集『チョコレート革命』、河出書房新社、1997
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第14回(2013年度)
12月8日(日)18:00~20:30
詠草6首、参加者3名。

題詠「西鉄バス」1首、自由詠1首。

題詠、成功しているものが多かった。
西鉄バスならではの歌があって、良かった。

自由詠に混ぜていくつか鑑賞。

1月、吟行がやりたい。
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第13回(2013年度)
11月30日(土)6:00~8:00
詠草10首、参加者2名。

テーマ詠「命」1首、自由詠1首。

題詠、テーマを昇華できず。妙に固くなるというか。
その分、自由詠はのびのびとしていて、読みごたえがあった。

参加予定は4名だったが、2名は徹夜で参加、2名は寝坊して参加できず。
朝早かったか。
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