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小さな動き
 山梨学生短歌会の機関誌、『青梨vol.1』を読む。

・「空しい」という字のなかの空はまだ夕焼けも朝焼けも知らない
     早馬麻衣『青梨vol.1』「ルナリアン」

 「むなしい」を「空しい」と書くと知ったとき、そこに「空」があることに驚いたことを覚えている。そこには「空っぽ」という意味がある。何もないのだ、そこには。ただ「空」と呼ぶべき枠があって、何もないけれど、それが「空」なのだ。
 しかし現実の空は、様々に姿を変える。例えば、夕焼けや朝焼けがある。あるいは雲が湧き、鳥が漂い、風が流れる。
 「空しい」と書くとき、その「空」は「まだ」それらを知らない。知る日がくるのだろうか、くるかもしれない。かすかな希望かもしれないし、小さな予感かもしれない。

・ひだりむねにはワニがいてほっそりとしたたましいを縫い止めていた
     さとうすずすえ『〃』「掌と掌のあいだの祈り」

 うすい袋のようなものに入っていて、たましいは液体なのかもしれない。やや粘性があって、あたたかくなると、バターのように融けてしまう。そうしてたましいは袋を圧迫して、時々破いて漏れてしまう。
 あんまり漏れると良くないので、「ひだりむねにはワニがいて」「たましいを縫い止めてい」る。「ひだりむね」の「たましい」には心臓を思うが、「ほっそりとした」にどきりとする。「ワニ」の歯並びが、「縫い止めた」跡のようだ。

・もうどこにもいないのにどこにでもいるような気がして背筋を伸ばす
     〃

 一読、身近な人の死を思った。「もうどこにもいない」という受け止めるしかない現実があって、けれども、その分とまでは言わないが、その人は「どこにでもいるような気が」する。背負うものや纏わりつくものから解放され、身軽になったたましいは、その分、何かあったときにすぐ動けるのだ。
 そう思うと、なんだかしゃんとしないといけないような気がして、そして何だってやれそうな気がして、やっていいんだと思えてきて、すっと、「背筋を伸ばす」。静かな動作だが、伸びた瞬間何かが流れたような気もする。

・履きなれない靴をおとしてしまいそうでつま先をぎゅっとした 東京
     中島咲『〃』「自選ニ〇首」

 新しく買ったばかりの靴か、あるいは、こういう時にしか履かない靴か。足に余るサイズのようだ。なかなか自分と一体化できずにいる。しかし、そうは言っても脱いで裸足で歩くわけにはいかない。一時の辛抱と思って、どうにかこの靴で歩く。
 靴が脱げそう、ではない。「靴をおとしてしまいそう」なのだ。まるで自らの過失を、それは自分の責任だからというように、「つま先をぎゅっと」する。
 「東京」という大きな場所に乗り込んだ自分を、容易い言い訳や責任転嫁で誤魔化したくはないのだ。小さな動きに、しかし大きな力が宿った。

(山下翔)
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第19回(2013年度)
2月23日(日)18:00~20:00
詠草8首、参加者3名

題詠「戦」1首、自由詠1首

流れで、福岡歌会(仮)の歌会後の居酒屋で。

珂瀾さん曰く、
「自由詠より題詠が良いってどういうこと?
自由詠がのびのびしすぎている」と。

次回で、今年度は最後です。
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