日々の活動、メンバーの文章など。
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第6回(2014年度)
6月29日(日)18:00~21:00
詠草10首、参加者5名

題詠「触れる」1首+自由詠1首
司会:山下

今回は久しぶりに、会員の詠草以外にも歌を混ぜて
歌会を行いました。
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あの夏
 今週の「あるきだす言葉たち」は、小島なおの「神輿」10首。2冊の歌集を経て、歌の雰囲気もずいぶん変わった。コスモスの風土もあるのだろう。

・近づいてくる近づいてくる神輿はるかなるあの夏の性愛
     小島なお『朝日新聞(2014.06.17夕刊)』

 初句7音かと思いきや、きっちり定型。2つの「くる」が分断されることによって、ぐんぐん迫って「くる」神輿の感じが出ている。「定型」の力学と「意味」の力学のせめぎ合いが効いている。
 はるかなる、と言えば、次の歌を思い出す。

・はるかなる遊牧民のはるかなる歴史を思う人は孤独なり
     小島なお『乱反射』

 第1歌集『乱反射』の中では格式高い歌だ。みずみずしいサラダだけではなくて、きちんとメインディッシュもあるぞ、という雰囲気を滲ませている。そして結句の性愛、これも同歌集の次の歌を想起する。

・噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたし
     小島なお『乱反射』

 いづれも平成16年に第50回角川短歌賞を受賞した、「乱反射」50首中の作品だったように思う。もうこの段階から自分の近いところにあった語彙が、どんどん熟成していっているように見える。

 はじめの歌に戻る。「近づいてくる」のは、ひとつには「あの夏」の記憶なのだが、そこには<私>に「近づいてくる」<あなた>がいる。あるいは<私>の中から湧き上がってきて表層へ「近づいてくる」「性愛」がある。
 それら「近づいてくる」ものの記憶や感触が、「神輿」から引き出されている。神輿の神聖さ、その動きのぎこちなさ、熱量がそのまま「あの夏」につながるのだ。

 そんな「あの夏」と「呼ぶべき夏」が皆にある、と歌ったのは母、小島ゆかり。短歌日記という形で綴られた歌集『純白光』中にその1首がある。「喉うごかして」に視線がいく。「あの夏」が、まざまざとたちあがる。

・あの夏と呼ぶべき夏が皆にあり喉うごかして氷みづ飲む
     小島ゆかり『純白光』

(山下翔)

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第5回(2014年度)
6月15日(日)18:00~20:00
詠草10首、参加者3名

題詠「二○加煎餅」1首+自由詠1首
司会:凌

二○加煎餅のCMなどの広告に着想を得たものが
多かった。そのあたり、どのくらい通用するか。
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『九大短歌』創刊号の通信販売のご案内
すでに先週末の「第3回福岡ポエイチ」にて頒布を開始していますが、『九大短歌』創刊号が発行の運びとなりました。会員7名の作品のほか、特集「九大出身の歌人」では小島恒久、吉野裕之、鯨井可菜子について書いています。ぜひ多くの方にお手にとっていただければ、と思っておるところです。


そこで今回は、通信販売のご案内をいたします。

頒価:400円(送料込み) ※振込手数料はご負担をお願いします。
発送:第1刷62部がすでに完売しており、発送は7月上旬を予定しております。ご了承くださいませ。

ご注文をご希望の方は、

1.お名前
2.ご住所
3.メールアドレス
4.購入部数

を添えてkyudai.tanka@gmail.com(@は半角)までご連絡ください。

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「そうだよな」「微熱」「はいつも遅れて」
 部屋の片付けをしていたら以前ネットプリントで入手した『miniature』たちが出てきた。阿波野巧也個人短歌紙で、#1〜#3がある。せっかくなので、以下、いくつか歌をひきながら気ままにみていく。

・信号が赤から変わる一瞬を遅れて町は歩きはじめる  (#1)
・歩道橋に登ればきみの胸もとへ通り魔のように射した夕焼け  (#1)

 一首目、小島ゆかりの「走り来て赤信号で止まるとき時間だけ先に行つてしまへり」『憂春』、二首目、春日井建の「火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ」『未青年』を想起する。上から下へそのまま流れる文体で、着想もよくわかる歌だが、近ごろの阿波野作品はもっとうねうねしている。この2首のような歌から、どのように変化していったのか。

・雨の降りはじめが木々を鳴らすのを見上げる 熱があるかもしれない  (#2)
・すべてのものが立体的に見えすぎてこまる 微熱でゆく並木道  『京大短歌20号』
・雨みたいな雪みたいなのが降っていてときどきひかってくれてうれしい  『NHK短歌2014.3月号』

 1・2首目、いずれも1人の場面だろう。「熱があるかもしれない」「微熱」という感覚を新鮮に感じる。歌そのものも熱をもって、こちらがぞわぞわしてしまう。特に2首目の「こまる」、こういう大胆な使い方が効いている。浅野大輝の「イエス アイアム そっとあたりを見渡せば自分の顔が多くて、困る」『歌壇2014.6月号』も同じような「こまる」だ。視野のゆがんでいる感覚。
 3首目の「うれしい」も同様。直接こういう言葉を入れることで、無邪気さのような、弱さのようなものがにじむ。それが文体とマッチして、「微熱」のような気分をつくっている。

・窓のそとは冷たい冬だ 自習室はさかなのように自習している (#1)
・それでも町は生きものだからいい ぼくの自転車がない でも、だからいい (#2)
・ストローを刺してあふれるヤクルトの、そうだよな怒りはいつも遅れて (#3)

 区切れや、文節の配置を意識的に工夫することで、独特のリズム感が生まれている。1首目、あえて「冷たい」と言う。「自習室」が「自習している」という感覚はじわじわやってくる。それは二句切れと、「だ」「ている」という言い切りが、ずれの存在感を消しているからだ。2首目、こちらはずれの存在感を思いっきりだしている。「でも、だからいい」。3首目、前2首のちょうど真ん中くらいの存在感か。上の句の落ち着き、そこから「そうだよな」で接続していく均衡が絶妙。こういう感覚は「そうだよな」「いつも遅れて」やってくる。

(山下翔)
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