日々の活動、メンバーの文章など。
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掲載情報
・西日本新聞「道ばたの短歌」(2015.1.7.朝刊)
 吉川宏志さんの連載「道ばたの短歌」に、<学生短歌会の今>というタイトルで、『九大短歌』創刊号を取り上げていただきました。

・朝日新聞「短歌時評」(2014.9.2.朝刊)
 伊藤一彦さんの時評に『九大短歌』創刊号を取り上げていただきました。

・読売新聞「九州・山口総合面」(2014.8.12.朝刊)
 若者による主な文芸同人誌の1つとして『九大短歌』が紹介(九州大学短歌会の機関誌。製本。今年6月に創刊した。会員の短歌を掲載。)されました。記事はネット世代の文学活動の特集で、福岡ポエイチの紹介もありました。

・読売新聞「短歌時評」(2014.7.26.朝刊)
 桜川冴子さんの時評に『九大短歌』創刊号を取り上げていただきました。

・角川『短歌』「歌壇時評」(2014.7月号)
 黒瀬珂瀾さんの時評に『九大短歌』創刊号を取り上げていただきました。
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大学短歌バトル2015【予選】
 去る3月1日、「大学短歌バトル2015」が開催された。当会としては非常に残念だが、現役の大学生でかつ、当日会場へ行ける人の目処がたたなかったため参加を見送ったのだった。
 それでせっかくなので、いくつか歌をみていきたい。本来なら動画も見ることができればいいのだが、その環境にないので、三上春海さんによるまとめを参照する。

【予選】

・言葉にはさせないつもり 秋風にさからって手をつないで歩く
     永井亘(早稲田短歌会)

 言葉にするとだめになってしまうことがある。言葉にしたとたんすでに多くのことが失われてしまう、そのことに堪えられるだけの関係性になければ、それがすれちがいのもととなってしまう。多くのこと、それはたとえば温度や緊張感、イメージ、時間をかけてはぐくむことでいっそう豊かになるであろうもの。
 けれどもどうにかして言葉にしたい、言葉にして伝えたい、届けたい、という気持ちが一方にはある。だからその隙を与えない、「秋風にさからって手をつないで歩く」という動きが、特別なものではないが力強い。
 さかさって手を/つないで歩く、と切れることで、結句へ勢いがつく。けれどもそれが強引ではないのは、「秋風に」さからって、とした巧妙にあるだろう。ほんとうは、言葉にしようとしているあなたをさえぎって、その衝動にさからっているのだから。

・どこからがよわさでどこからがやまい YAHOO! JAPANの画面あかるく
     橋爪志保(京大短歌)

 なんでも病名がつく、というとなんだか嫌な言い方だが、かつて「よわさ」だと言われ、すなわち強くなれと言われてきたことが、いまではひとつの「やまい」と認められるようになった、ということがあると思う。それでもなお、「よわさ」と「やまい」の線引きはぼんやりしている。人によっても反応がちがう。そのふたつのちがいがもうよくわからない、ぼんやりしていて苦しい、という気持ちを上の句から感じた。
 それはべつに、インターネットでいろんな情報に触れながら、というふうに下の句をからませる必要はさしてないだろう。そのときにたんに目にはいったものが、「YAHOO! JAPANの画面」だったのだ。そのあかるさが、いまは痛々しい。

・いぬよ あのロールケーキのふんわりに牙をさしこみたいよね わかる
     今井心(北海道大学短歌会)

 今井さんの歌にこれまで触れてこなかったのだろうな、といくつか歌を見ておもった。つまり一読してびっくりした。犬に呼びかける歌に、こんなにかわいいものを見たことがない。
 ふんわりしたロールケーキに、ではなくて「ロールケーキのふんわりに」としたところ、「ふんわり」と「牙」の対置、<いぬよ~わかる>という構造、といった技巧的なところもさることながら、共通認識の「あの」、あるいは「よね」、「わかる」、そして「犬」ではなく「いぬ」という表記、それらからくる犬との距離感に心を打たれる。
 そしてその近さは、たんに仲良しで親近感をもっている、というのではない緊張感をはらんでいる。快楽や暴力に意識がむく。それらをまるで、ふだんは見ないことにしているかのように、かわいさがおおっている。

(山下翔)
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