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天道なお 第一歌集『NR』
いま、ここで起こる出来事を、その中に入って自分の目で見て、その時の感覚で表現する。このやり方はごくごく自然なやり方の1つであろう。「国道をトラックが通り過ぎて家が揺れた」というのは後からの判断によるが、「家が揺れた。ああ、トラックか。」というのはその時の感覚である。このような立場から少し距離を置き、時にはかなり距離を置き、けれども客観的、というところまでは離れない。そういう距離感と、それによって世界とどう向き合うかという模索が、この歌集には詰まっている。

・文体を解体させてはらはらとハザードランプの点滅濡れる
・タイヤ痕途絶えし未明の路上には活字以前の言葉散らばる
・薄紙をじょじょにずらしてなぞる線そうして見失っていくのだ
・点と点のふたりであればどこまでも直線である線はさみしい

渦中にいる自分も、それを取り巻く他者も、その中に入り込んで見るのではなく、やはり外から見ている。その距離感の差から生み出される余白に、また言葉を押し込むことで、奇妙に時空をずらしていく。真っ直ぐな眼差しの中に、そんな自分を冷静に否定する自分がいて、役割をもらった言葉たちは、緊張感を保ったまま余生を楽しむ。

・転生の証をひとつ見つけたり背(せな)の黒子の星座を解けば
・うつぶせた背の上高き高き空さやかに季(とき)はうつろうらしく

ものをつかみやすい場所、体勢、雰囲気、時間。そういうものを自分の中にもっていて、あるいは用意して、だからこそ落ち着いてキャッチできる。

・遠浅の恋人だったまっすぐの水平線を背景にして
・C言語入門書と歌書並びおり背表紙なみだつ皐月の書棚

それが自分の知らないところへ影響を及ぼすこともある。しかしそれに気づいて排斥するのではなく、むしろそれを柔軟にとりいれることで対象との距離を縮みてみることもする。

・故郷をとおく離れてどことなく父に似た背を拠り所とする
・夏草の繁れるあたりゆびをさすやわらかき背にあばれる日射し
・一対の父子の背を見ていたりベジェ曲線を描く草々

生身の人間との関わりあいにおいて、その距離感の模索はいよいよ難しくなる。いないと極度にさみしくて、いると適度にうっとうしい、そういう人らと向き合う中で、単に落ち込んだり喜んだりするのではなく、そこにも小さな余白をつくりながら、距離をはかろうとする。その余白が小さなクッションになるのだ。

・あつき舌氷菓にからめ勾配をゆくひとなつの背中見送る
・じいんじん蟬鳴く真昼えいえんに終わらぬような母のお小言
・冷えきった炭酸しょぱんしょぱぁんとはじけてわらう笑うしかない
・裏庭で夕闇背負い佇んでいたかもしれぬダーウィンの母

見てきたものだけが見えてきたものではない。明るいものだけが光ではない。だからいつだって自分ならではの距離感を求めながら、表現することで見えてくるものを見にいくのだろう。世界と向き合うことは、苦しくもあり、しかしそれゆえ思いのほか楽しい。

・閉じられる窓ひとつある離職の日ここから見える景色があった

(山下翔)
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書評、ありがとうございます。
ブログをいつも愉しく拝読させて頂いております。天道です。
この度は拙著『NR』をお読みいただき、ありがとうございます。
今までいくつものうたとの出合いが自分の見える世界に奥行きを与えてきたと思っているので、こうして拙著をお読みくださったことが何よりも嬉しかったです。
山下さん並びに九大短歌会のみなさまの活躍を心から応援しております!
天道なお | URL | 2013/09/26/Thu 10:28 [編集]
Re: 書評、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。山下です。
ブログを読んでいただけているとのこと、
大変嬉しく思います。

刊行からずいぶん遅れてしまいましたが、
『NR』を拝読できて良かったです!
素敵な歌集をありがとうございます。
KyudaiTanka | URL | 2013/09/26/Thu 12:15 [編集]

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